今年の漢字
2014年は「他界」。
・・・って、どないすれば?
2014年は「他界」。
・・・って、どないすれば?
はてなのホッテントリ「見積りの根拠出してくれっていったら、金くれって言われたよ 」について。
まあ、これ、IT業界の常識を知らない会社が、自分の常識と照らし合わせて齟齬が出てしまったってことだよね。
→金がかかることを「無料の見積もりだろ」と言っているところが、フルボッコされている理由。
人が動く=仕事である以上、料金がかかるんだつーの。
「自分らが事細かく話した内容をシステムに落とし込んだらどうなるのかっていう資料的なもの」と言ってるものは設計書になるわけで、資料的なもの=設計書を作成するのがお仕事のほとんどである。
もっとも、打ち合わせをした挙句、紙ペラ1枚というのはあまり良い会社とは言えないかもしれない。
「当社の実績からこの規模のシステムの見積もりは、期間はX月間、XXX万円と推定しています。」とか、どんぶり勘定でも根拠らしきものを見せるべきだとも思う。(それとも、その紙ぺら一枚がそういったものだったのかな?)
なんか偉そうなことを書いてしまったけど、オイラは、見積もりに関わっていないためどれぐらいの案件に幾らかかるかというノウハウを持っていない。
なので、金額については、よくわからないケド・・・。
面白そうなので、元増田の発言から必要とするシステムを推測して、システム屋の見積もりがどんなレベルを想定していたかを考えてみる。
この元増田の以下の発言から、どんなシステムか推測できそう。
以上の内容から「流通系販売管理システム」ではないかと推測する。
んで、次、見積金額からシステム屋がどんなシステムを構築しようと見積もりを出したか考えてみる。
■追記:上記の見積もりは、300万円/人では高すぎたみたい。「一志達也のSE、魂の叫び [5]システム構築費用が決まるまで」、plumauto892のブログ 「システムを作るとはどういう事なのか? ~人の感性は十人十色~」を見てみると、100万円/人くらいからみたい。3.5人月、22人月か。結構、大き目なシステムじゃない?
帳票やら業務基幹システム、Webシステムとかの仕事をしたことがないので、正確なところは分からないけど、何となくデスマーチのにおいがプンプンするぜ!
営業がシステムの開発についてあまりわかってない→契約をとった案件を開発側が見ると、値段と期間と規模を見て無理だウンザリするという流れ。
IT関連の金額って、かっちり物があるわけでもないし、スタンダードな見積もり方法があるわけでもないし。
大体、経験からこんなシステムならこれくらいの金額かかったとか、どんぶり勘定なところはしょうがないと思う。
→「RFPでググればいいよ」とのお言葉。
なるほど、客から歩み寄れば皆、幸せになるってことですね。
でも、システムのことを知らないとハードル高そうだな、これ。
それに、元増田の説明がかっちりしていないから値段のブレととして出ていると思われ。
なお、営業は、会社の顔ではなく、面の皮でしかない。
会社の内情(技術力や信頼)には直結しないと考えるべき。
営業の雰囲気がイイからといって、いいシステムができるとは限らない。
24時間残念営業さんの「ひょっとして俺はマッチョだったのでは」とか、ブログのPVを上げる方法とか、アフィリエイトでン万円を儲ける方法とか読んで、(・3・)ふーん、みんな読んでもらうために大変だなーとか思ったり(店長の昔語りはちょっと違うか)。
オイラは、あんまり書きたいから書いているとか、誰かに見てもらいたいから書いているとか、考えていない。まあ、オイラが書いたネタ(プログラムとか)が有用に使われるのはうれしいけど。
このブログは、その名の通りオイラの「備忘録」なのですよ。
というのも、自分の考え方はカオスチックで直感型なのだ。
脳味噌の中身をブチ垂れているので、誤字脱字はふつうだし、文章がおかしいのも当たり前。(見直して書き直すのが面倒なので校訂しないし)
→その実、オイラは無意識で動く割合がすごく高い。最近、とみに高くなってきていると感じている。考えるのが疲れるし苦痛なのだ。
なので、無意識がフル回転して意識に考えさせないようにして、自動的に動く。
仕事も、動き始めは考えるところが多くつらいのだけれど、そのうち、慣れてくると目と手だけが動き始め、流れ作業になっていく。
まあ、こういう仕事の仕方をしていると、当初の目的を見失って迷走してしまうのだが。
→でも、こういう仕事の仕方をしているとブラシュアップされない。
だって、考えてよい方向を絶えず検討しないと、技術は向上しないもの。
だから、「書き続けていれば、文章がうまくなる」というのは頷けない。
ただ、だらだらと書き続けていても、それは同じようなものの再生産、書いている中身は違えども根柢ではコピーしているのと変わらない。
お年寄りが同じような話を何回もするのと同じっすよ。細部は変わったとしても進歩がない。
→話を元に戻すけど、無意識で考えると、疲れにくい(疲れていることを意識しないというのが正しいか)し結果が早く出るというメリットがあるけれど、やっぱりいきなり結論がでてくるので、それは記憶に残りにくいという欠点がある。
なので、このブログに書いている。
まあ、どっかチラシの裏にでも書くようなレベルは、自分のノートに書いておけよという話もあるかもしれないけれど、すぐに忘れてどこかにやっちゃうもの。といわけで、インターネットで見たり書いたりできるブログが最適というわけ。PCにローカルで持っていても、HDDがぶっ飛ぶこともあるしー。
→年を取ると、経験から考えることなく無意識に作業ができるようになるし、そうなると外界に意識が向きにくくなってくる。これが究極的になると、これって哲学的ゾンビじゃね?と思ってしまう。
そういえば、最近、人に対する情が薄れてきている。このままいくと、自動人形みたいになるのかしらんとか思ったりして。この状態は、正直、社会的動物な人間としては、失敗作だなとも思う。
→というわけでブログを続けるのには「何か言いたいことを強く持っている」必要はないし、「思いを人に届かせる」必然性もなくてもいい。見てもらうためのノウハウは必要な人が得ればいいんじゃないのくらいにしか感じない。
書きたい人はなんでも書けばいいし、読みたい人は読めばいい。意識して読ませたい記事を書く人はそれはそれでいいし、そういう界隈があるよねーでいい。
ある群を全体とすることは、ほかの群を否定することにであって、それは自分の世界が全てで他は認めないという狭量でしかない。さまざまな人たちを包括できる世界なんだから、それはもう存在して、否定されて変化する・しないはその人それぞれ。
自分たちの世界で、その方面の技能を磨くにはどうすればいいかって話なら分かるけどね。
ま、オイラみたいな駄犬が吠えても、誰にも届かないだろうけど。
片山さつき女史のツイート「国民が権利は天から賦与される、義務は果たしていると思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような全文にしました!」が物議をかもしている。
これが自民党の公式見解ってことであることも。
「義務を果たさなければ死ねということか」と。
まあ、言いたいことは分かる。
「何にもしないで主張ばかりするガキ(餓鬼?)がウルセー。
国に要求ばかりしやがって。
てめぇらがパイを食いつくすから、もう食い物がねぇよ。(特におれたちが肥え太る分がな)
おかげで国が潰れるつーの。
何とかしなくちゃなんねぇーの分かるだろ?な。」
って感じ?
でも、公僕がさ「何もしない奴は、生きる価値がないやつ」って言ってしまうのはどうなのよと、騒がれているわけで。
公僕は「生きる価値がない」とか言っちゃあかんけど、
オイラ会社員としては
「金もらっているんだから、その分働けよ。
てめぇのヘマの分こっちが時間掛けなきゃなんねーだからよ。クソが。
てめぇの給料をこっちによこせ!」
と言いたい。
今回、公僕と会社員を混同したんだろうさ。
国は、国(多分、政治家とか企業人とか権力を持っている奴ら)を守るためにある。国民のためではない。
企業は、会社を守るためにある。社員のためではない。
政治家は国民により選び出され、企業は一般人の金で肥え太る。だから国民が権力を与えてくれるように、一般人が金を出すように国民・一般人を守る。もしくはそのように戯言をほざく。
そこを勘違いして、「守られているんだ。もっと守ってくれ。クレ!クレ!」と声を大きくしても何にもならんがの。
てめぇのことは、てめぇで守れ。
まず、本音と建前を取り違えてしまうほどのバカ者集団を信じて、国のかじ取りを任せるほどバカにならないことだな。
「Kousyoublog 「嘲笑せず、嘆かず、呪わず、ただ理解する」スピノザ」 さんから
業務上のミス等による従業員への弁償請求や損害賠償について
全額押し付けられるなんてありえませんから~。(悪質でなければ)
404 Not Blog Found「自分の、自分による、自分たちのための働き方 - 書評 - ニートの歩き方」から。
「エリート(フランス語: élite、選良)とは、社会の中で優秀とされ指導的な役割を持つ人間や集団のこと。」
つまり人々から優れたものとして認定されなければエリートではない。
生まれつき才能に恵まれた人は、「ギフテッド (Gifted)は先天的に平均よりも顕著に高い能力を持っている人のこと、またその能力を指す。」
人は大体凡人に生まれる。その後の教育で成長していろんな才能を得る。
Giftedな人なんてほとんどいない。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、人は先天的に傾向が現れ(もしくは周りに影響=教育され)能力を開花させていくと思う。
高度な技術は教育なくして成長しえない。
「いま企業に求められるのは即戦力を持った人材」というキャッチフレーズを転職サイトで見るけれど、結局どこかで育てないと戦力を持った人材なんか産まれっこない。
ましてや、企業で使える人材にするには企業文化に沿った人材としてその企業で育てるしかない。
人を育てる前に、その人となりを見極める必要がある。芽が出ていない人に対して、いくら教育してもリソースの無駄である。
たとえば技術に興味があるのかインタビューなりテストをするなりして、ある程度荒いふるいにかける。
#大器晩成型の人間には酷な話になるけど・・・。
新人を大量に採用するというのは、その見極めをできるか、リソースを割ることができるかということを見極めなければならない。
ウチの会社、そういうこと考えているのかな・・・。
その手の戦略を全然考えてないと思うんだけど。
こういう教育あるよーって展開はあるんだけれど、仕事の方向性が分からんのでただの趣味で受けてって話にしかならないんだよな。
徒弟制度みたいにすればイイのに。
うまく成長させられたら報奨金を出すとか。
#割り振られた仕事がテストばかりとか、少人数でずっと廻っているとかそういう仕事もあるけどね・・・。
ゆる~く更新して6周年。
歳をとるとさ、大体経験してしまって、新鮮なことって無くなるよなと思う。
もしくは、生活を最適化と称して安穏とした自分の世界を構築してしまって、視野が狭くなるだけか。
この1年で起きたこと
ん~、人生がダレているな~。
なんか、おもろい目標ないかなぁ~。
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