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2008年12月24日 (水)

教育の役割

教育とは何を目的にするべきものなのか。
一つに、教科に特化した知識を得ること。これは本質的な目的ではない。だが今の日本ではすべてのように思われている。テストを行うのもこの範囲でしかない。
二つに、知恵を得ること。知識を得てそれについての意味を検討する。応用し間違っているならば考察し改善する。単純な知識の確認においても、メタ的な視点から考察できるようにすれば、視野が格段に広がり、知識を複合して新たな知識を作りだせる。

一つ目の知識を得るというのは、脳を鍛える前段階でしかない。知恵を得るためには、ある程度の知的ブレイクスルーがなければ、お粗末な考察しかできない。(例えば、子供のすぐばれる嘘は、一定の知的ブレイクスルーを迎えていないため、ばれないように知恵を回すことができないのだ。子どもはあれでばれないと思っているし、自分の中では筋が通っていると思っている)
知識を得ずとも、ある程度 試行をこなせばより上位へと移行できるかもしれないが、時間がかかるだろう。まあ、方法は人それぞれなのだろうけど、一般に知恵を得るには、まず知識を得る(先人の考えを取り入れる)。それを自分のものとして活用できるようになるのが、教育の本来の目的であるのだ。学校での教育は、まず第一段階の知識を与えることをしているのだが、でも、日本人はすぐに本質を忘れ、枝葉だけを見てしまう。つまりは、知識の量=試験の結果だけを見て、人の優劣をつける。人の価値は知識の量だけではない。個人の持つ知恵の特性がある。知識は(ある方がいいのだが)忘れてもいいのだ。活用できる知識を取捨選択して、知恵となせればいいのだ。知識は(今の時代)調べればいくらでも補完できる。しかし調べる方法を思いつけないような知恵のなさは、方法がいくらあってもカバーできない。

人間は、自分の発言、行動で何が起こるか(プラス方向なのか、マイナス方向なのか)を考えなければならない。これは自分の行動に責任を持つということだけでなく、他者が自分を見て、または教育を施してどのような影響がでるのか、ということにもつながる。表層的なことだけを教えるのか、その本質を教えるのか。どのように何をどのような段階(知的ブレイクスルー)を踏んで教えていくのか、時間的・体力的・精神的なコスト・メリットを考えて行かなければならない。
でもね面倒だから、つまみ食いのように表層的かつ部分的な必要十分にも見たない教育をしてしまって、ダメダメになるんだよな・・・。

と、となりの(別会社の)新人へのOJTを見て思う・・・。

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