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2010年6月28日 (月)

賭博の是非

今朝のサンデーモーニングで角界で野球賭博が大流行しているのが問題って話題が出ていた。
国が運営しているギャンブル(競馬、競輪や競艇)があるけどってボソッと言っていたコメンテータがいて、それは違うだろうと思ったのだけれど、なんで違うと思ったのかが自分で説明できなかった。

ちょっと考えてみる。
賭博・ギャンブルとは、将来起こる未確定の出来事を予想して、その確率を計算により胴元がオッズを決め、客は賭け金をかける。出来事が確定したらその事象に賭けた客にオッズと賭け金に応じた金を渡す。
競輪、競馬や競艇では、国が胴元として認めたものが、公平に払い戻しを保証する。
私的な賭博では、胴元が暴力団とか権力を持った者・組織が運営する。単純に力関係、信用などで払い戻しを保証している。

では、国が運営するギャンブルは許されていて、私的なギャンブルは許されないのか。
私的な賭博は、根底には力による抑止力がなくては運営できないので、暴力団が主催または介入することが多い。暴力が蔓延すると社会的に不安定になる。それは社会不安を増加させることになり、人々の恐れが経済の悪化や国家権力の弱体化につながるから国は避けたいだろう。また、商売として運営されるわけではないので税金がかけられないことも挙げられる。国はこのようなことからダーティーなイメージを植え付け、ダメと教育するわけだ。(もっともギャンブルで儲けようというような人間はまっとうに働かない=ほめられた人種ではないってことからもダーティーなイメージを持たれる)
国が運営するギャンブルは、ま、国家権力により不公平な行為が抑止されていて、一応客は納得せざる負えないし、国に金が入ってくる。勝てば官軍やね。(あと、ギャンブルをすべて止めさせることをしないのは、ガス抜きも必要だからなのだろう)

まとめると、暴力による抑止が必要なく社会不安にならない&国に金が入るから、国営ギャンブルは有り。暴力が介入しないと運営できない&国に金が入らないから、私的ギャンブルはなし。とされているのだとおもう。

角界で野球賭博が行われていたことが、ここまで大騒ぎになったのは、”国技”として国民に認識されている日本古来から歴史ある神聖な競技を行う力士たちがダーティーなことに手を染めている・・・。

  • 私的ギャンブルはダーティーなこと
  • 相撲は神聖な国技だ

この2点のイメージで思考停止しているから、「立派な人たちが悪いことしている」と大騒ぎすることになる。
相撲は神事の面もあるけど、”興行”や”巡業”っていうことから庶民の娯楽の面も多いと思われ、賭博の対象ともなっていたんじゃないの?

ま、角界で悪いことが蔓延してしまい自粛しますってのは、娯楽の面からみて、責任の取り方として違うだろうし、なんでも引きこもって反省すれば許されるってもんでもない。(政界も芸能界もなんでも悪事に対する反省は、引きこもって表に出ないでほとぼりが冷めるまで静かにしているって流れしかないのはおかしいよな!すぐ忘れる国民も、再びのうのうと表に出てくる悪人も・・・。)

オイラの結論(というか価値観?):ギャンブルはガス抜きとしての存在はあり。ただし、オイラに被害がなければ。ちなみに見苦しいというのはオイラの被害に含める。

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